日本の文化を伝える為に神仏画を描いている持田です。
皆さんは神社や歴史が好きですか?
私は何故か子供の頃から歴史に興味を持ち、その延長線上として神社にも興味を持つようになりました。
ただ、歴史が好きな方でも、普段から神社に参拝されている方は少ないかもしれません。
「結婚式は神式でした」という方もいらっしゃるでしょうし、結婚してお子さんが産まれたら「初宮参りや七五三に行った」という方も多いかと思います。私も子どもが三人いるので、普段の参拝とは別に子供の行事でも神社に参拝する機会があります。
あるいは「初詣くらいしか神社に行かない」という人や「あまり初詣も行かない」という人もいるでしょう。
中には「日課として氏神様にお参りに行っている」という凄い人もいます。
神社との付き合い方は人それぞれですが、「神社にもお寺にも行ったことない」という日本人はまずいないと思います。
仏教も、日本古来のものであると思っていた子供の頃の私は、ある時「仏教は海外から伝来した」という事を知り驚きました。しかも発祥の地は、はるか遠くにあるインド。
では日本古来の死生観やアイデンティティーの起源はどこにあるのだろう?と探すと、たどり着いたのが「神道」や、日本最古の歴史書「古事記」でした。
現在では「神道」=「宗教」と思っている人も多いですが、昔の日本人にとって神社や神道は、特別な日に、特別な人が行く所ではなく、生活の一部として根付いていた文化風習そのものでした。
しかも、身分の貴賎を問わず神社にお参りに行って、皆同じように手を合わせていたのです。
百姓も、商人も、大名も、そして皇室も。
つまり「神道」を学ぶ事により、歴史を知る事になり「日本人が何を大事にしてきたのか?」や「日本ってそもそもどんな国?」という疑問も解消してくれたのです。
ただ日本には多くの神々がいて八百万の神(やおよろずのかみ)といわれますが、仏様を描いた仏画が多いのに比べて、八百万の神のお姿を描いた絵は歴史を紐解いて見ても圧倒的に少なく、見る機会も限られます。
この状況は仏教と神道の差であるとも言えますが、明治時代に入り仏教と神道が分離されて150年余り、さらに戦後、国民が「古事記」や「神道」を学ばなくなって75年余り。これに甘んじていては日本古来の精神性を伝える事が難しいと感じ、私は独学で「神道」と「古事記」と「絵画」を学び「神社に奉納できる神様の絵」「神棚に飾れる神様の絵」として日々、八百万の神々を描き活動している、日本でも数少ない神仏専門の神仏画師です。
既にこれまでの活動の中で多くの神社に「神様の絵」を奉納し、多くのお客様のご依頼により「神様の絵」を描かせて頂きました。神社だけではなくお寺の住職様からのご依頼も何度も頂いております。
この「絵」をご自宅の神棚に飾ってみてください。もちろん神棚の無い方でも大丈夫です。
今までよりも、もっと神様を身近に感じ、日々の生活の中で神様が寄り添っていると感じるでしょう。そして10年後、20年後、お子様やお孫さん達の代、あるいはもっと未来にまでアナタが、ご先祖が、古来の日本人が崇敬してきた神様のお姿を残し、後の世に伝える事ができます。
日本には八万を超える数の神社があると言われていますが、神社によく参拝される人でさえ、その神社の存続に危機感を持っている人は少ないのが正直な所。日本全体の人口が減って地方の過疎化と高齢化が加速している現在。過疎地域の小さな神社の存続は非常に難しいものになってきているのは事実で、多くの神社が後継者不足で無くなっています。
人口減の対策として外国人労働者を増やそうとする政府や企業。
外国人が日本の文化や心を理解して神社を守ろうと立ち上がるのでしょうか?
この危機的状況をどうにかしなければならいと思いませんか?
もちろん外国人にも日本の事を愛している方も多いですが、日本人が日本人の文化を学び継承することを辞めてしまってはいけません。
少なくとも「我々の時代で日本文化が衰退した」と後世の日本を愛する人たちに言われないように、一人一人が意識して少しずつでも動かなければなりません。
記憶に新しい東日本大震災の後に、被災地の方々が一番強く想いをかけて復興に取り掛かったのが「神社のお祭り」でした。
「もう一度この地でお祭りをしたい」「若い人達と一緒になってお祭りで笑顔になりたい」
経済的な利益重視の社会では「神社の復興」や「お祭り」の復興に価値を見出せないでしょう。しかし人々は一生懸命に「神社のお祭り」の復興に取り掛かったのです。
ご存知の通り3.11の地震の後に発生した津波により、大きな被害を受けた宮城県沿岸部。
その津波の被害地域には古い神社がほとんど鎮座していなかったといわれています。
特に水害を制する神格を持った神様「スサノオ」をお祀りする神社は、沿岸部にあった神社ですら津波被害を受けずに残っていました。
この事が示す意味は、古来より甚大な津波被害を受けてきた人々が、津波が押し寄せてこなかった場所を選んで、緊急時の避難場所として水害を制する神社を建立することで、次の世代に安全な場所を伝えていったと考えられます。
実際に3.11の際には、神社が緊急時の避難場所として多くの人々から利用されていました。
人と神様との繋がりが薄くなっている現代ですが、災害発生時に「神社に身をよせる」ことが命の安全に繋がったのです。
もしアナタがこの「絵」を購入し、崇敬される神社に奉納すれば、衰退しかけている我々日本人の心を残すきっかけともなるでしょう。なぜなら10年後、20年後、あるいは100年後の未来に残したい日本の心を描き出しているからです。